【読書記録】誰も書かなかった徳川家の謎 2

本書の著者は歴史学者ではない。

歴史学者は具体的な史料の裏付けが無ければモノが書けないが、著者は作家なので、大胆な推理推論を展開できるらしい。

面白いエピソードが多数納められていたので、2つほど紹介してみたい。(ネタバレで恐縮ですが)


【なぜ徳川綱吉は生類憐みの令を出したのか】

徳川綱吉は身長124cmの小人症であったと考えられる。

その劣等感ゆえ、自己顕示欲を満足させるため、次々に奇矯なパフォーマンスを繰り出した。生類憐みの令もその一環。

ところで、なぜ124cmだと分かるのか。実は、江戸幕府歴代の将軍の位牌が、大樹寺という寺院に立てられているのだが、この位牌がそれぞれの将軍の身長と一致しているのだという。

ちなみに、最も背が高かったのは二代将軍秀忠で160cm。大樹寺は私の実家から徒歩圏内にあるのだが、そんな面白いネタがあるとは知らなかった。次の帰省時には30年振りぐらいに訪れて位牌見学をしてみたい。


【なぜ日本人の宗教観はかくも希薄になったのか】

初期の徳川幕府により、政教分離が実施されたから。

といっても訳が分からないだろうが、キリスト教禁教施策に端を発した檀家制度の創設である。すべての日本人に対して、どこかの寺院の檀家になることを強制することで、寺院の経営を安定させた。

要するに政治機構が宗教機構を取り込んで骨抜きにしてしまった、ということだろうか。確かに、信長の時代までは本願寺とか比叡山といった宗教機関が勢力を振るっていたことを思うと、江戸時代以降の彼らの落ち着きぶりは特筆ものかもしれない。

「あとがき」の中で著者は言う。中世から離陸し、近代へと着陸するために不可欠な文化大革命こそ、政教分離である。今も政教分離を実現させていないイスラム諸国などは、いまだ、中世に片足を突っ込んだままといえよう。


なるほど。当地で暮らしていると、日本の戦国時代みたいだな、と感じる時がたまにあるのだが、「政教分離未了」という社会発展段階が、そのように思わせるのかもしれない。

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この記事へのコメント

kid
2009年06月08日 14:42
中東の国は中世と言うより古代?より進歩していない気がするのは私だけでしょうか。もしかして後退しているのかも。
merukin
2009年06月09日 06:44
kidさんこんにちは。
文明進化論ならぬ文明退化論とは画期的ですね。確かに、地球の遺産(化石燃料)と先人の遺産(古代遺跡)を食い潰しているだけの現代中東人の生活は、後退局面以外の何物でもないかもしれません。
2009年06月11日 13:43
merukinさんのブログの記事は面白いですね。
位牌のことは本当なのでしょうか。確かめてみたくなりますね。
徳川時代に檀家制度が始まったことを、今まで知らないでいました。
戦国時代と感じさせるものには何がありますか?
質問が多くなってすみません。 コメントは無理のない程度で結構です。

merukin
2009年06月12日 22:19
夢子さんこんにちは。コメントありがとうございます。湾岸諸国はそれぞれ、○○家と呼ばれる王族が支配しております。サウジアラビアのサウド家は格上ゆえ、周辺国の王族がサウド家の顔色を伺う、なんて記事を目にすると、なんだか日本の戦国時代の大大名と小大名みたいだな~と思ったりするわけです。

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